奥さんのお母さんは校閲ガール?

こんにちは。
瞑想夫婦の中の人、ナオです。

気づけば、もう11月です。
今年が、あっという間に過ぎていきます。

そして、僕たち夫婦は引っ越しに向けて激忙しい時期に突入です。
そんな日々の前に、瞑想トレーナーの奥さんがトレーニングでタイへ行っています。

奥さんがトレーニングに行っている間ぼくは、島根に帰省して次の準備をします。
次に会うのは11月中旬。お互い再開した時には今とは違う状況になっていることでしょう(^^♪

ところで
私の奥さんは、アメブロをやっているのですが
そのブログ内でも今回のトレーニングでタイへ行く事を報告しています。

そんな奥さんのブログを熱心に観ている方がいます。
それは、奥さんのお母さんです!

読んだ感想を伝えてくれるだけなら良いのですが
「ここは〇〇じゃなくて、△△でしょ!」
「もっと読み手が共感出来るように〇〇と書きなさいよ」
と奥さんへ電話がかかってきます。

携帯「プルプル、プルプル、プルプル」

奥さん「はぁー、お母さんからだ… (´Д`)」

毎回、電話を受ける時の憂うつな顔が我が家の名物になっています(笑

そして今朝も
今回のトレーニングでタイへ行ってくる報告ブログについて
「ブログの一部が…校閲お願いします」と一文メールが送られてきました。

僕もブログを読んでみたのですが
正直、気になるところは無く奥さんの素直な気持ちが出ていて良いと思いました。

僕は奥さんが「ブログ記事を読んでほしい」と言われない限り基本は読みません。
僕の奥さんという関係性のため、つい「僕ならこう書くけどな」と
自分の考えを押し付けてしまいます。

でもこれって、校閲ではなくて検閲なんじゃないかな?って。
そして、お母さんも校閲と言いながら検閲をしていると感じています。

検閲の意味を調べてみるとこんな感じで出てきました。

表現物(出版物等)や言論を検査し、国家が不都合と判断したものを取り締まる行為

この文章内の「国家」⇒「母」、「不都合」⇒「受け入れづらい」に置き換えると

表現物(出版物等)や言論を検査し、受け入れづらいと判断したものを取り締まる行為

娘のためを思って(愛を持って)の行動であることは、とっても理解できるのですが
やっぱり母と娘という関係性だと、最初は校閲のつもりが検閲になりがちなのかなぁーって。

相手への愛が行動の起源になっているぶん、校閲ではなく検閲になっていることに
気づきにくいんだと思いました。


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